はじめまして!トトマムです。
本日はサイトにお越しいただきありがとうございます。
わたしは知識もスキルも実績も学歴もありません。
会社員の夫をもち、10歳の長男、6歳の次男、4歳の長女の子育てに奮闘する35歳のお母さんです。
6歳の次男は生まれつき口唇口蓋裂で、発達障害をもち、小学校の知的学級に通っています。
毎日家事、育児に奮闘している私があることがきっかけで、Webマーケティングを活用したビジネスをはじめる決意をしました。
このページでは、3人の子供を持つお母さんがなぜWebマーケティングをはじめようと思ったのか、自己紹介とあわせてお伝えします。
基本情報
・ニックネーム:トトマム
・生 年:1988年生まれ
・星 座:みずがめ座
・血液型:O型
・職 業:会社員
・趣 味:天然石のアクセサリーづくり
幼少期~小学生:井の中の蛙、人間不信で無口な幼少期
わたしは、自営業で相撲と巨人と競馬が好きな「THE昭和」な父と
田舎の元農家に嫁いで自営の手伝いと4姉弟を育てる母、
そして姉、妹、弟の4姉弟の2番目に生まれました。
姉と年子のわたしはいつも姉の引き立て役です。
姉と比べられて、いつも祖母からディスられて育ちました。
そんなわたしは、幼稚園で知らない子から冤罪をかけられ、人間不信で外では一切話さない内気な性格になります。
幼稚園でトランポリンで一人でがむしゃらに飛び跳ねていると、
先生から呼び出しをうけました。
「〇〇ちゃんが遊ぼうって言ったのに仲間外れにしたでしょ!」
と身に覚えのないお叱りをうけ、
身に覚えがないからさらに、
「わかってない!」
と判断されて長いお説教をされうけました。
何かすると怒られる!
と恐怖心から心は内側に向き、
外では一言も喋らない子になりました。
中学生~高校生:将来への漠然とした不安を抱えていた思春期
中学から高校の6年間、吹奏楽部に入部します。
吹奏楽部ではとても仲の良い友達ができ、音楽を皆で表現するという楽しさに没頭します。
それでも、内気な性格は続き、テレビゲームが大好きで家では一人で「ドラゴンクエスト」や「ゼルダの伝説」などのゲームが大好きでした。
そんな中、将来のやりたいことや夢が見つけられず、漠然とした不安を抱えていました。
高校では、思春期の不安定な心が破裂しそうになってしまいます。
部活は全国大会を目標にしていて
パワハラ、モラハラはあたりまえ、怒鳴られる日々。
家では、両親の関係が悪化していて毎日包丁を持ち出して喧嘩をするほどでした。
そんな日が続き、思春期の未熟な心はボロボロ。
眠れなくなり、自傷が癖になり、過呼吸を起こすようになりました。
ありったけの薬を飲んで大晦日に救急車で運ばれたこともありました。
そんな精神状態で、就職しようと面接を受けてもボロボロです。
大人との複数対1の閉鎖された部屋でパニックになり、話が出来なくなりました。
そこで就職は諦めます。
ちょうどその時に、映画「パイレーツオブカリビアン」をみて、
私もこんな映像を作ってみたい!と両親に頼み札幌の専門学校に行くことになります。
ここでの経験が、自分のやりたいこと、夢へ一歩踏み出し、
小さな世界から広い視野で物事をみれるようになるきっかけになりました。
専門学校~就職氷河期:底なし沼の落ちこぼれ時代
親元を離れて環境が変わったことで、心の問題はいつの間にか改善していて、薬なしで生活できるようになりました。
都市に来て今までの狭い世界とは全然違っていて毎日が楽しく、専門学校での学びもとても興味深いものでした。
専門学校は、コンピュータグラフィックス全般を学び、
photoshopやillustoratorでの広告デザインや、puremierやFLASHを使った映像作成、HTML、WEBデザインなどを学びました。
特に、HTMLやFlashでのプログラミングがとても興味深く、入力したコードから自分のデザインが思い通りに動くことが楽しくて、プログラミングを主に勉強します。
卒業作品では主人公が世界を回り世界中のカブトムシを取りに行くゲームを作ったのですが、自分の好きなことを表現できる楽しい学びでした。
そんな楽しいことも束の間です。
就職活動の時は、リーマンショックが起こり就職氷河期と呼ばれていた時です。
100社受けて2社内定という人もいて、とての驚きました。
なんとか、学校の紹介でWebデザインの会社就職できたのですが、
東京と札幌どちらにするか考えているから待ってねと雇用契約も結んでいないのに仕事ばかり来る日々、契約も結んでいないのでお給料ももらえません。
仕事ばかり毎日来るのに、先が見えなくなっていきました
そんな不安定な仕事を父親に認めてもらえず仕事を辞めて実家に帰ります。
そこから落ちこぼれの連続が始まります。
地元の信用金庫で法人向けのインターネットバンキングの電話オペレーター兼事務として働くことになり社会人としての基礎を学ぶのですが、
Webデザインの仕事に諦めがつかず、何度も面接を受けていたのですが、全部撃沈。
そして大手化粧品会社からエステティシャンの求人にとびこみますが、お金が続かずにすぐに諦めます。
最後に地元のお菓子屋さんで働き、接客について学び、
1年も経たずに店長を任せられるほど、ガムシャラに頑張りました。
この期間は、社会人としてお金を稼ぐことを学びます。
お金を稼いだ上で、自分の好きなことが出来るという現実的な考えになります。
25歳~:子供とわたしの成長の時代
25歳の時に長男が生まれます。
長男が生まれる年に旦那が自衛隊を辞め、転職をしたのですが、
転職したばかりだから収入は低く、子供を保育園に預けて実家の自営業の事務としてパートで働きはじめます。
子育ては、幸せで愛のある生活を想像していました。
しかし私の想像はボロボロに打ち砕かれます。
2人目を妊娠したのですが、流産をし
そしてやっと授かれた命は、妊娠25週に口唇裂があると言われました。
産まれた子は口唇口蓋裂という、右側の鼻の下からのどちんこまで裂けていて
ミルクはうまく飲めず、誤嚥性肺炎になり一時的に人工呼吸器につながりました。
新生児の検査は全てひっかかり、家では在宅での医療的ケアが必要で、
色々な所へ通院、通所ととても忙しい日々が始まります。
両方の親からの援助はうけられず、
旦那は残業や休日出勤ばかりで仕事の休みは日曜日だけ。
市に相談をしても
「兄弟がいる家庭は同じように苦労していますから。」と
だれにも助けは求められず、孤独でした。
4歳の長男は赤ちゃん返りして、甘えてべったりだったので、
家事は疎かになり、生きるだけで精一杯でした。
私が想像していた、穏やかで愛のある幸せな生活とはかけ離れていて
上手く出来ない自分に、自己嫌悪になってしまっていました。
子育ては学びや気づきの連続です。
いまでも子供には問題が起こるたびにたくさんのことを教えてもらっていて、
子供の成長とともにわたしも成長させてもらっているんです。
次男は精神運動発達遅滞と診断を受け、ゆっくりと成長しています。
やっと次男も保育園に通えるようになり、
子供が成長するにつれてなんとか自分の時間が取れるようになります。
30歳~:実母との共依存の時代
家事や育児中心の生活にも慣れてきたとき、父の癌が発覚しました。
わかった時には、大腸癌から、肺やリンパに転移しておりステージⅣでした。
辛い放射線治療が始まり、自営業の事業を縮小し、従業員は父と母とわたしになりました。
父が会長、母が代表取締役で私が取締役の、法人向けの不動産賃貸業です。
父が亡くなり、落ち込む母をみてわたしがどうにか頑張らなければいけないという思いから、
母をサポートしなければと思い、反対に母はわたしが全てやってもらおうと共依存の状態に陥ります。
相続でも問題が起こります。
遺言を残してくれていたのですが、土地や不動産を相続した姉弟とトラブルが起き会社から死亡退職金として相当なお金を会社から引き出し分配することになります。
父はワンマン社長で会社のことは母は殆ど関りがなかったのですが、
資金のことや今後のことを話しても話が噛み合いませんでした。
会社の資金がほとんどなくなり、これではいけないと新規の事業として考え企画し、銀行や不動産管理の昔からの父の知り合い、税理士、建築会社など沢山の人に意見をもらっていたのですが、母が勝手にキャンセルの電話を入れてしまいます。
理由は「後が引けなくなりそうで怖くなったから」でした。
その当時は3人目の長女が生まれたばかりで、発達障害で療育が必要な次男と、小学校に上がったばかりの長男を抱えていました。
母は何もわからないし出来ないから、私が何とかしなければいけないという思いで
1日中会社のことを考えて、会社の為に生活をしていました。
家族や家庭のことは後回しで、沢山の責任を抱えてしまっていました。
そんな毎日張りつめた精神状態でいたときに、
勝手にキャンセルをされたことで、張りつめていた糸が切れたのです。
人に会うことが怖くて、人混みが怖くて、冷や汗、動悸、身体が固まってしまい、外に出れなくなり、ちょっとしたことで過呼吸を起こすようになりました。
夜も眠れなくなり、心療内科にかかり、
自律神経失調症、ストレス関連障害、不眠症と診断をもらい休職。
休職して、それが共依存だったと気がつきました。
わたしが落ち込む母の為に全てを投げうって頑張れば頑張るほど
母は会社のことは何一つ考えることをやめていたのだと気づいたのです。
33歳~:自分の人生を生きる時代
休職している間に姉妹弟へ仕事のことを相談しましたが、3人全員から一時的な手助けも「無理だ」とハッキリ言われたので会社を辞めることを決意します。
母とは家の距離が徒歩5分以内で勝手に家に上がってこられていたのですが、
少し遠くへ引っ越し、極力関わることを辞めました。
休職して始めの1か月は布団から出られないでいましたが、
だんだんと、子供の為に生きようと思うようになり、まずは自分が心から幸せに笑顔でいたい。
そう思えるようになりました。
まず私が心から好きなことを始めようと、
幼少期から好きだったビーズアクセサリーを作り始めます。
とても楽しくて、一人の時間はひたすら机に向かって作業していました。
その後も、パワーストーンの資格を取得したり、
心理カウンセラーの勉強や数秘術の勉強など
自分の興味のあることを楽しみながら学んでいきました。
少しずつですが、自分の時間を大切に人との繋がり、関りを広げて行って
自分の幸せの為の人生を歩み始めました。
子供とのかかわりも、怒ってばかりいた頃に比べて少しずつ改善してきていて、子供との時間を作ることが出来るようになり、怒ることもありますが、毎日の成長を楽しめるようになっています。
それでも、、、
・子供が大きくなるにつれて、食費や生活費が圧迫してきている。
・やりたい習い事にも通わせてあげたい!
・教育費にもっと費やしてあげたい!
・子供の療育にもっと手厚くサポートしたい!
・今しかない子供との時間を大切にしたい!
・家にいながら働き、学校から帰ってくる子供を迎えたい!
たくさんの不安や思いがあふれてくるようになりそして、それを解決するために行動をしたいと思うようになりました。
これからWEBマーケティングを学び、在宅で自分の時間で働きながら、もっと子供との時間を大切に、自由に、お金の不安を解消して、穏やかな生活をするために頑張ろうと思ったきっかけです!
最後に
わたしの目標は、1年後に年収100万円。その後安定した収入を得ながら、
月収20万円、そして夫の収入をこえることです。
具体的に何をやっていくかはこちらの記事にまとめました。
これから計画したことを実行して目標を実現するために頑張っていきます!
そして、わたしとおなじように発達障害をもっている子供のお母さんで
・自分の時間が中々とれない
・お金の不安
・将来の不安
など悩みや不安を抱えている方に自信と勇気をお届けしたいと思っています。
まだまだはじめたばかりで未熟者ですが、
是非わたしのBlogを見て、障害をもつこどものお母さんが、本気でWEBマーケティングでビジネスをしたら、1年後に年収100万円、その後安定した収入を得ながら月収20万円、そして最終的に夫の収入を超える!
それが可能であるのか、見届けてください。
あなたがもし、わたしのやり方を参考にしてビジネスをはじめようとしたときの道しるべになれるようしっかりと成長の記録を残して発信していきます!
最後まで読んでいただきありがとうございます♡